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第9回カライモ学校《震災がれきを考える―見えてきたごみ焼却システムの問題》を終えて
第9回カライモ学校は、《震災がれきを考える―見えてきたごみ焼却システムの問題》。
講師は守田敏也さんです。
当日は総勢20名で、放射能汚染、そして震災がれきについて考えました。
お話の前半は、先日訪ねられた現在の福島の様子の紹介、
そして後半は京都市でも検討が進められている震災がれきの広域処理についてです。

守田さんのお話の要点はおかばあのT村くんがまとめてくれているので、
どうぞこちらを↓ (ありがとう、T村くん)
http://okabar.exblog.jp/18135557/

質疑応答では、さまざまな立場からの言葉が、声が発せられました。
奥さんとお子さんが京都に避難されている福島の方、関東から避難されてきた方、もともと京都に住んでいる方。

守田さんが、当日参加してくださった、福島の映画館「フォーラム福島」の支配人・阿部泰宏さん、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の吉野裕之さんの言葉を、ブログ「明日に向けて」に書いてくださっています。↓
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f1cfa082c32beea9ad5f81176d44d49f
守田さんのブログにもあるように、その時阿部さんは、原発事故に対して、福島県民として県知事に投票したことに「責任がある」とおっしゃったのです。
「原発を許してきた大人の責任」ということは、耳にもするし、私も感じている、と漠然と思ってきました。
けれど、これまでの自分のどのような行動に対しての「責任」というのか、よく考えてみれば私は明確にはしてこなかったし、それでは結局「責任」なんて感じていないのと同じではないのか、阿部さんの言葉に私は思いました。

そして阿部さんはおっしゃいます。放射能汚染の一番の罪は、抑圧だ、と。心が抑圧されることが何よりつらいのだと。
福島に住む阿部さんと並べることはできないとけれど、たしかに原発事故以降、私も「抑圧」を感じている、そう思います。
それは簡単に表現できる「抑圧」から、とても一言では表わせない、心の奥への「抑圧」まで。
そして私は一生かけてこの抑圧とつきあい続けていくだろう、とも思うのです。

誰も自分の心を他人のそれと重ね合わせることはできない。
だからこそ、時間と空間をともにし、その人から発せられる声、言葉を自分の耳できくことが大切だ、そのことを実感した時間でした。
by KARAIMOBOOKS | 2012-06-11 16:52 | イベント
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