人気ブログランキング | 話題のタグを見る
中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)~「明日に向けて」より
4日に終えた、第9回カライモ学校、《震災がれきを考える―見えてきたごみ焼却システムの問題》。
講師に守田敏也さんをお招きし、放射能汚染や震災がれきについて考えました。
(第9回カライモ学校《震災がれきを考える―見えてきたごみ焼却システムの問題》を終えてhttp://karaimo.exblog.jp/18088393/

その質疑応答の時間に話してくださった、阿部さんの言葉を守田さんが文字に起こしてくださいました。
阿部泰宏さんは福島市にある映画館「フォーラム福島」の支配人。
奥さまとお嬢さんが京都に避難されていて、ご自身は福島にいらっしゃいます。
今、福島の中通りに住むということがどういうことなのかをお話しくださいました。
その奥行きのある言葉は、目の前の現実からさらに一歩私たちの想像力を歩ませてくれます。
ぜひみなさん、阿部さんの声をお聞きください。

以下、守田敏也さんのブログ「明日に向けて」(http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011)より引用

《中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)上》

日曜日に肥田さんと一緒に京丹波町に訪問しました。素敵な企画が実現されま
した。その報告をしたいところですが、先に、前回お知らせした、福島の映画
館「フォーラム福島」支配人の阿部泰宏さんの、カライモブックスでの発言を
ご紹介したいと思います。

阿部さんの発言は、参加者との質疑応答、感想討論の中で行われたので、完結
したものとはなっていませんし、福島の現状を踏まえて、どこに向かうのかを
明示したものとは必ずしもなっていません。しかし前回も書いたように、僕は
ここから何かを一緒に生み出せると確信しているし、ぜひみなさんにもその展
望をシェアしていただきたいと思います。

そしてそのためには、福島市民の多くが置かれている現状、阿部さんが発言の
中で「究極のジレンマ」と言いなした事態、なかなか答えの出てこない現実を
ぜひ自らのものとして捉えて欲しいと思います。
今日は、解説はこれぐらいにしておきます。みなさん、それぞれで阿部さんの
言葉に耳を傾けられ、その奥底から、福島市に住まう多くの方たちの息遣いを
感じ取ってください。

なお、タイトルは阿部さんの発言の中から僕が抽出しました。またやりとりの
中での発言のため、幾つか他の方の発言も補いました。

**********

中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている
フォーラム福島支配人 阿部泰宏


―みなさんの話を聞いていて思うのは、本当になんだか申し訳ないなというこ
とです。自分の県からこういうことになってしまって、今日、ここに来ている
お母さんや、妊婦さんに対して、こういう悩みを京都の人たちに与えているん
だなと思うと、本当に申し訳ないと思います。

守田「申し訳ないなんてことないですよ。」
参加者(杏さん) 「県民のせいではないですよ」

吉野「僕らは佐藤雄平(福島県知事)に投票したりしているんですよ。」

守田「ああ・・・・」

吉野「あの時は、共産党か雄平かしかいなくて、しょうがないから、棄権する
わけにもいかないからということで投票したりもしているんです。最初、雄平
は原発に慎重な姿勢だったのです。ところがころっと変わって、プルサーマル
を受け入れるといって、装てんしたのが1月で、それで3月だから、これが飛
び散っているのは、福島県の有権者に責任があるんです。そう考えるんです」

守田「はい・・・」

―震災が起こったあとに、世界の映画人からのメッセージということで、劇場
のネットワークを利用して、世界中の映画監督からメッセージをもらった中で
仙台出身の岩井 俊二という監督のメールが非常に印象的だったのですよ。
彼は原発事故当時にアメリカにいたのですけれども、地震と津波に関しては本
当にお気の毒だと、心からの哀悼の意を述べますということで、友だちから慰
めの言葉をもらえるのだけれども、原発事故に対しては、海外の人たちのトー
ンが違う。何か複雑な感じがあって、彼自身も罪悪感を感じた。日本人として
世界の人たちに迷惑をかけてしまったと感じだそうです。
だから日本の人たちは、もっと海外の人たちがどういう反応をしているのか、
海外からどのような目で見られているのか、もうちょっと時間が経って落ちつ
いたら、そういうことも考えて欲しいということを言ってきたのです。

僕らは最初から疎外感を感じていて、3・11という言葉に疎外感があります。
というのは3・11は少なくとも僕ら中通りの人間にとってはリアリティがない
んです。(注 福島県中通りは、福島市・二本松市・郡山市などのこと)津波
と地震に対しては、内陸部にいるわれわれは、直接にひどい目にはあってない
です。むしろワンセグとかで映像を見せられて、沿岸部の北から南にどんどん
被害が南下してどんてもないことになっていて、「大変だね」ということで、
他人事だったのです。

ところが半日もしないうちに、まったく津波や地震とは関係ないことがおきて、
それが原発事故で、まさか自分たちの住んでいるところがこんなことになるな
んて、自分たちにとっては「えっ」という感じだったわけです。
そして3月12日に1号機が水素爆発し、14日に爆発。そしてまた、2、4
と続いていって、だからわれわれにとっては、3・12なんですよ。そこからも
う福島県の中通りは疎外感があるのです。

3・11の宮城や岩手とかとはニュアンスが違う。他の県は、津波にあって家や
家族をなくし、あの人たちは本当に可哀想だと。でもまだ納得いくときが来る
と思うのですよ、自然災害なので。何十年も経てば、総括できるかもしれませ
ん。でも僕が確信しているのは、われわれは、何十年経っても、悩みを繰り返
すというか。このジレンマから逃れられないなと思うのです。

僕は1年経った今でも、朝起きると、どうやって生きていったらよいかと思う
のです。それで1日中悩んで、夕方ぐらいになって、悩み疲れるのです。それ
で寝るじゃないですか。翌朝起きると同じ悩みが繰り返すのです。このメンタ
リティって、会津の人たちともまた違います。また原発に近い、浜通りの人た
ちともまた違うのです。

福島県といっても、カタカナの「フクシマ」はイメージであって、現実の福島
は、昔、10藩あったのです。京都も僕にとっては「キョウト」ですけれども、
みなさんにとっての京都って、非常に複雑で、人情も地域性も場所によって違
うのだと思うのです。ここに来て、自分の家族がお世話になっているので、よ
くよく聞いてみるとみんな違う。いかに人間がイメージで見ているかを、今回
本当に痛感しました。

だから僕は中通りの人間として言うけれども、中通りというのは、いわゆる避
難区域には指定されず、かといって、線量は、相馬などよりぜんぜん高い。い
わゆる放射線管理区域に入るところばかりです。さきほど、守田さんがスライ
ドを見せてくれて、あそこは僕の地元なので本当によく分かるのですけれども、
ちょっと努力すれば、100マイクロシーベルト(毎時)なんて、幾らでも探せ
る。本当に感覚が麻痺している。完全に異常な状況の中で生きていくためには、
忘れなくちゃいけないし、慣れなくちゃいけないのです。無理やり自分で自分
を抑圧するのですよね。

これは、どんなに偉い学者さんが、どんなに実績のある知識人が、「心配する
ことはないんだ。原水爆の実験とときよりも、今回の方が線量が低かった。
チェルノブイリの10分の1に過ぎない。低線量内部被曝の危険性は、科学的
に確かめられていないから大丈夫だ」と幾ら言われたって、心の中に芽生えた
不安は、やはり消せないです。

そして最も呪うべきというか、情けないなと思うのは、人と言うのは、100
マイクロシーベルトだって生きるのです。くよくよしながら生きるのです。で
もやはり無理だと、家財も仕事も何もかも捨てて、逃げなくてはいけないので
はないかと思っても、そういうことができた人たちは、子どもを持っている人
たちです。それと自然をいじくっている人たちです。農業とか、水産業や、土
をいじくって焼き物を作っている陶芸家の人とか。この2種類の人だけで、い
わゆるサラリーマンや、都市生活者は、言われことは耳に痛いし、理屈として
は分かるのですけれども、でも捨てられないのです。

それが今の現実の福島だから、なんだ、福島に来たら普通に人が暮らしている
し、みんな、普通の市民生活をしているじゃないか。福島は大丈夫だよと思う
のだけれど、でも一週間でもいて欲しい・・・というか、人間の住める場所で
はないですから、そこが言いづらいところなのですけれども、1週間か10日
いないと見えてこないことがあります。

本当にわれわれは抑圧されているし、だから僕が言いたいのは、原発事故は起
こしたらおしまいだということです。もう復帰は無理です。起こしたらおしま
いなんだということを、とにかく言いたい。だから自分はどうでもいいけれど
も、自分の子どもだけにはそんな十字架を背負わせたくないので、何か申し訳
ないと思いつつも疎開という道を選んでいったのです。

でも本当に逃げてきたら逃げてきたで後ろめたいし、福島から京都に来る道す
がらは、遠ざかれば遠ざかるほど、深呼吸ができる。ストレスから解放される
感じになる反面、ものすごく罪悪感を持ってしまう。そんな状況にここがなっ
て欲しくない。でもそんな反面教師的な日本国民が現れたということを、絶対
に国だって、自治体だって、認めたがらないです。でもそれをやはり伝えてい
かなくてはいけない。

福島の人たちはみんな今、ビクビクしているのです。何か、お互いに探りあっ
ているような状態で、あの家の人が、洗濯物を外に干しているか、中に干して
いるかによって、自分の仲間なのかそうではないのかということを見ている状
態で、だから本当に原発事故は、百害あって一利なしという感じで、話にもな
らないような状況を今、生んでいるし、守田さんがおっしゃられた状態、その
通りです。誇張でもなんでもないです。

むしろ僕は、守田さんは、福島市の人間ではないのに、本当によく、短期間に
ここまで本質をつかんでくれているなと思いますけれど、でももっと言えない
話があるし、だから僕はゲットーだと言っているのですよ。だから原発事故は
起きたらもうおしまい。本当におしまいなのです。やはり心がやられるのです
よ。経済とか健康とかも、もちろん大変なことですけれども、もっとやっかい
なのは、人間の心を悩ますことです。

みんな自信が持てない状態にいます。福島の人は。何か言ったら、攻撃される
のではないか。自分の言っていることが、正しいのか、間違っているのか、わ
からないから、口をつぐんでいるという感じで、イメージで言うなら、みんな
でどーんと、プールの中に飛び込んで、鼻をつまんで、お互いににらみ合って
いるのです。どこまで長く潜っていられるか、我慢しているようなものです。
これこそ抑圧。

だから究極のジレンマというものを、今回、僕は味合わされて、そこから抜け
出すのにどうしらよいか分からなくて、京都に逃げてきたときに、水俣という
のが頭に浮かんできたのです。何かこう、今まで、水俣というのは、自分にと
ってよそ事だったけれども、昔知った何かが、自分の中にひっかかってきて、
水俣について知りたいなと思ったときに、こちらのカライモブックスさんが、
石牟礼道子さんと深い間柄で、石牟礼さんの本を集中的に扱っている古本屋
さんだということで、訪ねてきたのですよ。それからお付き合いをさせてもら
っているのです。

奥田「前回の、守田さんのカライモ学校のときに見えられたのです」
守田「え、そ、そうだったんですか」
阿部「あのときが守田さんだったのですか」
奥田「そうなんです」

・・・続く

《中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている(阿部さん談)下》

昨日に続いて、阿部さんのお話の続きをお届けしたいと思いますが、福島から
あるところへ避難されている方から、佐藤雄平知事に関する事実関係が少し
違っているというご指摘を受けました。正しくは以下のような経緯をたどった
と教えていただきました。

***

福島県民は、佐藤雄平知事を2度、当選させています。
2010年2月にプルサーマルに関して県の態度を180度転換。
2010年8月6日にプルサーマル受け入れ決定→MOX燃料装填
2010年9月に試運転開始
2010年10月に商業運転開始
そしてこういうことがあってから、2010年10月末に、佐藤雄平知事を「再選」
したのです。

***

僕自身も調べてみたところ、第一期の当選が2006年、その後、2009年ごろまで
プルサーマルに慎重な姿勢をとっていたものの、ご指摘のように、2010年に
転換し受け入れを表明しています。第二期の選挙は2010年10月で、民主、社民
に加え、自民も「プルサーマルを受け入れてくれたから」と支持を表明。唯一
の対抗馬だった、共産党の佐藤克朗氏を破って当選しています。その意味で
福島県民は、確かにプルサーマルを選択した佐藤雄平知事を、この選挙で選択
したことになります。

この点、訂正してお詫びします。僕がきちんと調査して書くべきでした。
申し訳ありません。

さて、以上のことに踏まえつつ、阿部さんの話に戻りたいと思います。話は
ようやく阿部さんがカライモブックスに辿り着いたものの、かぎがかかって
いて中に入れないところからです。

******

中通りの人間は、自分で自分を抑圧して生きている 下
フォーラム福島支配人 阿部泰宏


あのとき、ここがなかなか分からなかったのですけれども、ここをようやく
探し当てて辿り着いたら、せっかくきたのに、かぎがしまっていて、ここで
何かをやっていて、「なんだ」とか思ったのだけれど、そこのガラス窓にあっ
た、「今、福島のことについて、市民を集めて、討論をしているので、申し訳
ありませんが5時までお客様はお待ちください」という張り紙を見て、僕と嫁
さんは、すごくありがたいと思いました。

僕は本当に不思議な気持ちになりました。水俣のことを自分が知りたくてここ
に来たら、福島のことを憂慮する方たちが集まって、ジャーナリストの方の話
を熱心に聴いているのですよ。女の子とか学生さんとか、お母さんたちがいて、
僕はあのとき本当に救われました。これしかないんです。われわれには。解放
されるとか、救われるということは。

だから少ないかもしれないけれど、福島のことを気遣ってくれて、明日は我が
身だという危機感で動いてくれている人たちをつなぐというか、これしかもう
福島県民が救われる道はないなと思ったのですけれども、大多数の福島県民は
そのことに気づいてない気がします。だから吉野さんなどは、そういう意味で
はまるでミツバチような存在だと自分で思って、日本中を飛び回っています。
だから本当に今日は、守田さんの話を聞いて、こういう場にいて、こういうこ
とを言って、僕自身にとって、セラピーになっているなと思います。

守田「とても嬉しいです」

―たたきつけるようなことで申し訳ないのですけれども、本当に思うことは、
福島のことを助けてくれとかそういうことではないんです。京都を汚さないで
欲しい。ここは盆地で、福島とまったく地形が同じなのです。幾ら除染したっ
て戻ってきます。周りが山に囲まれているし。

守田「山がやられたらもう駄目ですよね」

―駄目です。除染なんて、あれは金儲けのためにやっているだけです。除染は
科学的な見地や技術ですが、本当は理念や哲学が必要だと思います。なんのた
めにやるのかという高い志があって初めてできる作業です。金のためでは駄目
です。

僕は劇場をやっているので、いろいろなメンテナンス業者さんが入りこんでき
ます。あるとき、気の置けない業者がこういうことを言ったのです。原発事故
前まで、建設業はどん底状態だった。しかし建設業関係は、今は、復興や原発
特需で沸いている。除染はエンドレス。いくらでも金が入ってくる。だから
息を吹き返したし、今は仕事に困らない。次から次へと、やってくれという発
注で予約でいっぱいだ。でもその担当の方は、僕にこう言ったのです。「仕事
がらある家やある企業のビルとかをくまなく測るけれど、単純に思う。人間の
住める場所ではない」と。そして「いくらやったって無理だ」と。でも、その
人はそれを言ってしまったら終わりなのです。そういう状況になってます。

ある新聞記者が僕に言い訳のように言いました。「いろいろと頑張ったけれど、
編集会議をすると、まるでゲートルを巻いた上司が機関銃を構えていて、それ
をちらつかせながら言われている気がします」と。ある県庁マンが僕に言いま
した。「阿部さん。阿武隈川もう、みな底は原子炉なみで、とても公表できま
せん」と。仙台湾を調べるべきなのに、調べないのは、とんでもないことにな
っているからです。太平洋側の魚は当分、食べないほうがいいです。とくに
子どもさんは、これから本当に大変な時代を生きなくてはいけないということ
に関しては、本当に・・・」(声がつまる)

・・・参加者からの意見(省略)

―福島を覆っているのは同調圧力なのですよ。さっき守田さんがモニタリング
ポストについて話してくれました。(モニタリングポスト周辺だけ除染されて
いる。だから福島の人に「これはモニタリングポストではなくて、除染ポスト
ですよね」と言ったらみなさん笑う・・・という話)まさにその通りで、一番
低い数字が公表されているのです。守田さんがおっしゃったことは事実で、こ
のことは少なくとも福島市民は全員知っています。この実態を。だから誰も公
表された数値など本当は信じてないのです。でも無理やりそれを信じ込ませて
生活しているのです。

毎朝起きると、NHKで、今日の放射線値が報道されています。新聞をめくれ
ば、株の銘柄ではないかと思うぐらい、事細かに今日の数値が書いてあります。
ありますけれど、それはまったくのまやかしです。そこで測ったのは事実かも
しれないけれども、1メートルあがればぜんぜん違うかもしれないし、地表で
測ったら0.6マイクロシーベルト毎時だったものが、2とか、3マイクロシー
ベルトだったりするし、そこから数十センチ離れたところで、とんでもない数
値が出たりするのです。うちの劇場の裏を測ったら、40マイクロシーベルト
(毎時)を振り切りました。

そうした中で、健康被害も起きているはずですが、どこかで自治体なりがある
程度観念して、やはりそれはあるのだと認めない限り、大多数の人間は、自ら
まやかしに同調しようとすることを続けてしまいます。そうしないと暮らせな
いのです。普通の生活が送れないのです。そこで深く突っ込んで考えてしまっ
たら、逃げるしかなくなるのです。

弁護士さんの集まりがあって、訴訟のための窓口なのですが、人生相談的な
色合いも持っているところがあるのですが、僕がそこにいったときに、あるお
母さんがきていて、そのお母さんはどちらかというと、県や国の言うことを丸
飲みにしていた方でした。市民運動や守田さんが言われることは一切、信じ
なかった。そのことに反発すら覚えていた。

ところがあるとき、5歳の男の子をばあちゃんに預けてパートに出ていた。そう
したらばあちゃんから電話がかかってきて、今、孫が鼻血を出した。すぐに戻
ってこいという。今までも一度も鼻血を出したことのない自分の子どもが、ダ
ーっとすごい鼻血を出して、いくら対処しても止まらなかったそうです。30
分出し続けたそうです。でも医者に駆け込んで、放射能のせいでしょうといっ
ても、立証されていないし、違うと思う。何かストレスのせいではないかと片
付けられてしまったそうです。それでそのお母さんは一発で変わりました。

それでも吉野さんの活動や、矢ヶ崎先生や守田さんの話に対しては、やはり
直視したくない、突っ込めないという面があります。でも自分の子どもにそれ
が起こったら逃げなくちゃいけない、どうしたらいいと変わったのです。私は
シングルマザーで何もない。逃げたはいいけれど、その先でどうやって生活し
たらいいのという話になったのです。

なのでそういう健康被害の話は幾らでもあるのです。でもそれを真に受けてし
まったら、直視してしまったら、何かをしなくてはいけなくなる。映画でアル・
ゴアの『不都合な真実』というものがあるのですが、われわれ自らが、ガバナ
ンスが発するまやかしだと思っている情報に、自ら積極的に、もうそれでいい、
これを受け止めてしまおうという、自ら進んで同調してしまう何かがあるので
すよ。

だから最初のうちは、福島市民はすごく怒っていたし、みんなカーッとなって
いました。しかし怒りは持続しないのです。慣れるし、忘れるし、しまいには
諦めの境地になってしまい、大きいものに自分を預けてしまったほうがいい、
自由なんか捨ててしまったほうが楽だという、退廃的な感覚が蔓延していると
僕は思います。

・・・以降、参加者の討論が続く。記録はここまで。


*******

阿部さんの発言には、福島の今が鮮やかに切り取られていました。
僕は阿部さんの文学的・哲学的な力を感じました。
ある友人が、今の状況下での「文学の使命」を語り続けているのですが、
それを思い起こさせらる発言でもありました。

問題はもちろん、この「退廃的な感覚」をどうするのかですが、そのために
こうした「感覚」が、けして福島に特有のものではなく、私たちの日常の中に
あるものであること、それと対決し続けなければ、非常時に全面化してしま
うものであることをつかみとっていくことが大事だと僕には思えます。

そして同時に、このことと自らが対決する中から、私たちは自らのうちに、
福島の人たちに語りかけていくべき言葉を見出すことができるだろうし、みい
だすべき責務があるのだと僕は思うのです。その言葉はあるいは、「同調」の
中にある人を傷つけるものになるのかもしれません。しかしそれでも僕は、
その痛みを恐れながらも、言葉を発し続けていこうと思います。

未来に向けて、阿部さんとの連携を続けていきたいです。
by KARAIMOBOOKS | 2012-06-16 12:07 | イベント
<< 新入荷。石牟礼道子、金芝河、中... スパゲテイが吸い込まれていく >>